2012年4月22日日曜日

編んでるシアター館が新設定スタート

編んでるシアター館での「絵本とみんなと編んでるシアター」今回から絵本館らしく設定し直しました。
舞台も利用し、少し間をおくことも大切かと考えたのです。それがぴったりフィットするお客様に恵まれ
お母さん方の絵本の選び方、買い方も伺ってみました。かなり賢く、柔軟に対処されています。
 図書館、子育て支援センターなどあちこちでお会いしてましたが、ネットで調べてここまでいらしてくださったお母さんです。
また、2時からだと幼稚園の帰宅時間に間に合わないので、30分ずらしてください、と、なるほど、うっかりしてました、早速変更いたします。
4月に入り絵本の二次使用の許諾をいただかなくてはなりません。
編みたい絵本、リクエストもあって、ワクワクの毎日です。

2012年4月6日金曜日

気仙沼で出会った船「ひまわり号」

一週間前の今日は気仙沼のあちこちをタクシーで走り回っていたわけで
少しずついいろいろ書いたもの、思ったことを整理している今です。
その中で、大島に戻る汽船に乗り遅れ、何しろ一時間に一本出るかでないかの船、時間をつぶすのにもゆっくり出来るみせなどもなさそう、どうしたものやら、と思っていたら、タクシーの運転手さんが民間の船を走らせてる人がいるからと、回り込んでくれました。
小さな船、事情を話して「ああ、どーぞ」と言って乗せてくれ、どっから来たの?さいたまです、とは言ったものの、なんだか不安になってきたワタクシ・・・「山椒大夫」の・・・まさか。
ちじこまって座っていると「埼玉の人は珍しいから」と本を手渡されたのです。

その本を今 読んでいるところでびっくり、
あの震災でほとんどの船が大きい船も小船も、流されたり市内のあちこちに乗り上げてしまった中、一度は沖に流されそれから戻って、定期便が復活できないでいる間にもずっと、走り続け、島の人の拠り所となって話題になっている「ひまわり号」それがあの船だったのです。
震災の生々しい状況や必死なの人々の痛烈な戦いが伝わってきます。
汽船に乗り遅れなかったら出会えなかった不思議な縁、6月に行くときは、きちんと話してこよう!
あッ、6月、また行きます気仙沼、宿が取れました、
「編んでる」だからできることを大切にして、子どもたちに会いに行きたいと思います。

2012年4月3日火曜日

気仙沼に訪問編んでるシアター行って来ました

震災後一年経つのを待って被災地への編んでる訪問を開始しました。
新聞記事などを切り抜き情報を集め、受け入れ先を探るには現地に行きたいと一人で泊まれる宿探しからはじめ、宮城の気仙沼の休暇村を見つけたのです。
出かける前に気仙沼市社会福祉協議会ボランティアセンターに連絡を入れると、普通は2週間前に申し入れをして手配をしてもらうのが筋だし、ちょうど年度末なので受け入れ先を見つけるのは難しいという中、さらにこれまで仮住まいだったセンターの引越しに重なる超多忙の中、訪問先を探してくださいました。
初めは気仙沼市内の託児所で、ここも6月までの仮住まいで6畳2間という感じの日当たりのよいお部屋に17名の幼児と、保育する方が5名かな。
ま、その賑やかなこと、泣いたり、おもちゃのとりあいをしたり、おっかけっこしたりという具合です。
でも「はじまるよ」で始まると、ほーら、なんだろう?と視線が集まって・・・最後の「はらぺこあおむし」までかわいいおめめがパチクリ!
朝からずっと泣き続けていた子が、いつのまにか泣き止んでたねえ、と、私たちも楽しんじゃいましたと保育士さん。
6月にはまた来てくださいとうれしい言葉をかけていただきました。

午後は「恵潮苑」という市内でも大きな老人ホームでした。
昔話や民話、わらべ歌、手遊び、スーツケースに無理やり詰め込んだ「編んでる」作品を、とっかえ、ひっかえ出しながら大奮闘!
「歌ったり、語ったり、いろいろなさるんですねえ」と施設長さんや担当者。
震災後はボランティア訪問も少なくて、来ていただけるのは有難いですよ、と。
今でも施設の一部は避難所として使われていて、ほんと、それどころじゃない現状ですからね。
表通りにはガレキがなくなっていても、浜には車が山と積まれています。
タクシーの運転手さんのこっから津波が、あっちから火の手が、の言葉が胸にずしんと残って、体よりも頭の中の疲れがまだ抜けない編んでるおばさんです。