救急車でさいたま赤十字病院(日赤)に運ばれてちょうど一か月
医師の説明や、家人や知人の話をようやく頭の中でまとめることができるようになりました。
3月2日夕方に救急搬送されたときにはもうかなり危険な状態で翌3日朝には、「延命治療」の決断をせまる電話が医師から入ったといいます。
その一週間前に遺影に使う写真までも決め、延命治療はしないことを息子と話していたのにいざ医師からの可否を詰め寄られると、思わず逃げた!という正直な言葉に、辛い思いをさせたな、が実感です。幸い、高い医療技術で、苦しかったが痛みを一度も感じることなく病を克服し退院してほとんど通常の生活に戻ることができている。
延命治療はしない、というボタンを押すことは「死」を認める選択で、その選択を迫られた者の一言がボタンを押すことに繋がることを思えば、それが急であればあるほど辛いもの。
知りうるほとんどの人が延命治療はしないという。
でもその「ボタン」を押す人が辛い思いに苦しまないように私は「延命治療はしないで」と大きく書いて仏壇にしまい、家人にもそう伝えた。
一日は燃え尽きたるか夕陽雲 |
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